ツンデレおふざけ革命戦士
ツイッター止められると
羽をもがれたような気分になる
みんなおはようって言いたいのに…
したいよー
ツイッターしたい!
思うんだけどさ
とある芸人さんのツイート見てたら
[このツイートは不適切な表現が含まれているため…]とかって
伏せられてるツイートだらけだったりするのに
何故か凍結はしてないの。
これは何故だろう
わたしのツイッターもそうしてくれればいいのに!
それか凍結とかではなく
私の携帯に不具合でもあるのかなあ
ちょっとまだわからない…
まあでもねー
私の人生 トラブルなんかつきものだし
毎日毎日ありえないトラブルしょっちゅう
だし…
ブログがまだ書けるだけでもヨシとするか
ツイッターふざけすぎてたかなー
(・∀・)
しかし 久しぶりにねえさんのツイッター見たけどめっちゃいじられてたな…
まあいい お互い様だからな 笑
今日のブログは取り止めのないものに
なりそうだ。
今 思ったんだけど
他人にいじられて頭来る場合と笑ってしまう場合って何が違うんだろうね
それはやっぱり相手との関係性とか
相手のその言葉から伝わってくるオーラというか…
ほんの1ミリでもそこに愛情とか友情を感じるか?みたいな
その辺なのかなーと思う
なんかのアドバイスにしたって
「その通りかもしれない」と思う場合と
「ふざけんなテメコノヤロー」としか思わない場合とある…
それについてもだいたい同じ事が言えるかもな
相手のことを大嫌いでも
そのアドバイスの中身がズシンと胸にくるものであればやっぱり自分の成長のために活かそうと思うし…
まあでも悪意しか伝わって来ないような
嫌がらせとアドバイスって全然違うもんね。
逆に相手のことを尊敬していても
すべてその人の言う通りにします!なんて
事にはならない…わたしの場合は
やっぱり自分の意思ってものがある。
でもすごく考えるけどね…
自分の為を思って言ってくれてるのが
わかる場合は特にね。
ブログも楽しいけど
ツイッターもすごく楽しい
なんだかいつも仲間と会話しているようで
つぶやくたびに なんだかまるで一緒にいるみたいな 一緒に笑ってるみたいな
そんな感覚になれるから
わたしの中には[いろんな私]が
いるんだけど
ツンデレとかおふざけエロ野郎とか
革命戦士とか
いろんな顔のわたしがいるんだけど
どれも本当の私で どれも失くしたくない自分なんだよね
だから時々道に迷うようなそんな気持ちに
なったり
それでも迷い断ち切りながら進んだり
アクセル踏んだりブレーキ踏んだりして
毎日生きてるなー
たくさんのひとがアドバイスしてくれて
嬉しい気持ちもあるし
てめえはすっこんでろ、みたいな気持ちに
なる時もある。(・∀・)
やっぱりすべての人の意見を聞いてたら
パンクしてしまうので
信頼できると思うひとの声に
耳を傾けて行こうと思う。